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    プロレスニュース

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    1: 名無しさん@恐縮です 2018/11/09(金) 05:51:55.07 ID:CAP_USER9
    プロレスラーの蝶野正洋(55)が8日放送のTOKYO MX「バラいろダンディ」(月~金曜・後9時)にMCとして生出演し、12月31日にさいたまスーパーアリーナで行われる格闘技イベント「RIZIN.14」の対戦カード中止騒動について見解を示した。

    【写真】「RIZIN.14」出場表明のRENA

     5日に都内で行われた会見で電撃発表されたプロボクシング元世界5階級王者フロイド・メイウェザー(41)=米国=とキックボクシング界の“神童”と呼ばれる格闘家の那須川天心(20)=TARGET=の対戦は、メイウェザーが帰国後に、自身のインスタグラムに「私は決して那須川と公式の試合に同意していない」と投稿したことで波紋を呼んでいる。

     蝶野は「ルールも決まらずに、ある程度断られてもいいみたいな売名的なやり方をしたんじゃないかな」とRIZIN側の思惑を推測。さらに「契約を交わしてから会見に臨むのが普通だけど、その後にルールがどうのこうのって。ある程度、話題を振りまくための会見だったのかなと思います」と言い放った。最後に「ビッグマッチで期待していたんですけどね」と残念がった。


    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181108-00000212-sph-ent



    【<蝶野正洋>RIZINビッグマッチの中止騒動に見解!「売名的なやり方をしたんじゃないか」】の続きを読む

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    1: 名無しさん@涙目です。 2018/11/15(木) 10:57:11.31 ID:0J+gEw4D0 BE:292723191-PLT(19081)
    台東区の隅田公園山谷堀広場(台東リバーサイドスポーツセンター隣)の特設リングで十七日、
    「浅草プロレス」(区後援)の旗揚げ戦が行われる。
    総合プロデューサーは、浅草寺の北東、今戸出身のプロレスラー・雷神(らいじん)矢口さん(年齢非公表)。
    デビュー二十五周年記念のイベントでもあり、「生まれ育った浅草での興行が夢だった。
    入場無料なので多くの人に来てほしい。プロレスで故郷に恩返しを」と意気込みを語る。

    矢口さんは、区立富士小学校(浅草四)に四年生の途中まで在籍、近所の台東体育館でジャイアント馬場さんや、
    アントニオ猪木さんの試合を間近で見て、プロレスラーに憧れた少年だった。
    浅草にあるアニマル浜口さんのジムでプロレスラーとして修業。
    「まち元気プロレス」と称して、町田市や神奈川県横須賀市などで、プロレスで街おこしをしてきた。

    三年前、雷門の雷神にちなんだリングネームに改名し、時間をかけて浅草プロレス設立の準備をしてきた。
    旗揚げ試合では、矢口さんのほか、力道山の孫の力(ちから)さん、大鵬の孫の納谷幸男さんらがリングに上がる。
    女子プロレスラーや、駄菓子屋戦士ベーゴマン、招福亭今戸キャットなど、浅草のご当地レスラーも登場。子どもプロレス教室も開く。

    矢口さんが目指すのは、流血などを伴う過激なリングではなく、子どもからお年寄りまで三世代で楽しめる全盛期の昭和のプロレス。

    興行は午後一時~同四時。基本は立ち見で、座って観戦できるサポーター特別席は一口五千円から。
    http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018111502000127.html
    http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/images/PK2018111502100058_size0.jpg

    【「浅草プロレス」が17日隅田公園で旗揚げ戦。力道山の孫、大鵬の孫も参戦 】の続きを読む

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    1: 名無しさん@恐縮です 2018/11/14(水) 00:54:30.47 ID:CAP_USER9
    顔面ペイントに毒霧攻撃という独自のスタイルで日米マット界を席巻したザ・グレート・カブキ。
     高千穂明久という地味な中堅レスラーがエンターテインメント性を追求し、その境地にたどり着いた変遷は、プロレスの歴史そのものを体現したとも言えよう。
     ※ ※ ※
     興行としてのプロフェッショナルレスリングの始まりは、19世紀の初頭、アメリカでグレコローマンスタイルの賞金マッチの記録が残されている。

     1905年(明治38年)に初代統一世界ヘビー級王者となったジョージ・ハッケンシュミットの必殺技とされたのは、筋骨隆々の肉体から繰り出されるベアハッグ。この頃は、現在のようなロープワークなど存在せず、グレコに欧州キャッチレスリングのサブミッション(関節技)をミックスしたような試合形式であったと伝えられている。

     1920年頃にはベビーフェイス(善玉)とヒール(悪玉)の役割分担などの様式が生まれたが、当時の代表的選手であるエド・ストラングラー・ルイスの必殺技はヘッドロックで、膠着状態のまま試合が1時間以上に及ぶことも珍しくなかったという。

     40~50年代には、貴族ギミックのきらびやかなコスチュームと罵詈雑言のマイクアピールで、ゴージャス・ジョージが人気を博し、以降は、ショーアップされた現代のプロレスへとつながっていく。

     技術と体力比べだった地味な試合ぶりが、だんだんと観客を意識した派手なものになっていく。これはプロレスの歴史と同様に個々の選手にも見られる変遷であり、さしずめザ・グレート・カブキはそれを極めた代表的な1人と言えよう。

     1964年に力道山亡き後の日本プロレスに入門したカブキは、同年に高千穂明久のリングネームでデビューする(高千穂は出身地である宮崎県に由来したもので、本名は米良明久)。

     「カブキが若手の頃にはカール・ゴッチが日プロでコーチを務めていた。後年にカブキ自身は、ゴッチの強さに懐疑的な発言もしていますが、技術的な面での影響は少なからずあったはずです」(スポーツ紙記者)

     '70年に初のアメリカ武者修行を経験し、'72年に凱旋帰国。同年の全日本プロレス移籍のあたりまでは、そうして身につけたテクニックを駆使する正統派の中堅レスラーにすぎなかった。

    「この頃にもいくつかのタイトルを獲得していますし、得意技のアッパー・ブローもすでに使用していましたが、それでも地味な印象は拭えませんでした」(同)

     転機が訪れたのは70年代後半、全日本を離れてアメリカに主戦場を移してからである。

     当初はいわゆる田吾作スタイルの典型的な日本人ヒールとして活動していたが、'81年、たまたま日本の歌舞伎役者のグラビアを見ていたマネジャー兼ブッカーのゲーリー・ハートが、白塗り隈取りのことを知らずに「このマスクはどうなっているんだ」と尋ねてきた。このことをきっかけにして、ペイントレスラーのザ・グレート・カブキが誕生する。

    https://npn.co.jp/article/detail/18172128/

    【「ザ・グレート・カブキ」全米を震撼させた“東洋の神秘” 】の続きを読む


    1: 名無しさん@涙目です 2018/11/10(土) 07:52:51.93 ID:uK2lWIJw0 BE:273822876-PLT(12000)
    https://this.kiji.is/433730721186595937?c=39546741839462401

     【ワシントン共同】複数の米メディアは9日、トランプ米大統領がロス商務長官の解任を検討していると伝えた。
    中間選挙で議会下院の多数派を奪還した民主党がロス氏の金銭疑惑などを追及することを懸念しているという。

     米CNBCテレビによると、トランプ氏はロス氏を年末までに解任したい意向を周囲に伝えた。ただ、最終決定はしていない。

     後任候補には中小企業局長で、米プロレス団体ワールド・レスリング・エンターテインメント(WWE)の最高経営責任者(CEO)を務めたリンダ・マクマホン氏が浮上している。
    トランプ氏はプロレス番組に出演したことがあり、マクマホン氏と親しい。


    【トランプさん、WWEのビンス・マクマホン嫁を重要閣僚起用へ 】の続きを読む

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    1: 名無しさん@恐縮です 2018/11/07(水) 16:21:59.84 ID:CAP_USER9
    「ダダン! ボヨヨンボヨヨン」という掛け声で、水中から現われたアマゾネス風の外国人女性が胸を揺らす。
    出演していたのは女子プロレスラーのレジー・ベネット(57)。振付は、故・ポール牧さんだ。

    現在はアメリカにいるレジーの携帯電話を鳴らすと……。「ハロー! いま、友達の家に遊びに来ているところなのよ」と言いながら、答えてくれた。

    「あのCM? とにかく、撮影現場が楽しかったのを覚えてる。最初は『こんなことをやるの?』って驚いたけど、強いインパクトを出そうと頑張った。私を指名してオファーしてくれた人の期待に応えるのが、プロだからね。

    仕事はもうずっと、ミシシッピ州でホームセンターのスーパーバイザーをしてる。じつは左肩を痛めて、手術を受けたの。でも、たいしたことないから心配しないで。

    日本の方にはよくしてもらって、いい思い出ばかり。機会があれば、また行ってみたいわ」


    れじーべねっと
    1961年1月24日生まれ このCMが人気を博し、レスラーとして来日。WWWAオールパシフィック王座にも輝く。2001年3月、日本での試合を最後に引退した

    (週刊FLASH 2018年10月16・23日合併号

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181107-00010005-flash-ent 


    【「ダダン!ボヨヨンボヨヨン」のレジー・ベネット、いま何を? 】の続きを読む

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