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    プロレスニュース

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    1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/03/15(日) 07:41:14.88 ID:???*.net
    「気合だ! 気合だ! 気合だー!」の掛け声と「ワッハッハ」の豪快な笑い声で知られる
    元プロレスラーでタレントのアニマル浜口さん(67)。若い時はトラウマがあって酒嫌いだったとか。

    酒はいい思い出も悪い思い出も、いーっぱいあるよ。一番よかったのは女房と出会ったこと。
    俺が国際プロレスでプロレスラーになって2年目の70年の12月かな。

    キューピッドはラッシャー木村さん。ラッシャーさんがオックス・ベーカー選手と台東区体育館(現・台東リバーサイドスポーツセンター)で
    金網デスマッチを戦った際に左足を複雑骨折し、浅草の病院に担ぎ込まれてね。
    入院中、若手レスラーは交代で身の回りの世話に通ったんだ。

    そして少しよくなったら、看護師の目を盗んで病室で酒盛り。
    会社公認だから、オレは日本酒の一升瓶を何本か持っていかされ、病室で一緒に飲んで酔いつぶれたこともあった。
    まあ、今じゃ信じられないことが平気な時代だったよ。

    で、ある日、ラッシャーさんが「病院食に飽きたから、外へメシ食いに出よう」って、
    田原町駅の近くにあった小料理店に連れてってくれた。そこの看板娘がうちの女房だったってワケ。

    可愛いかったよー。一目惚れさ。当時、オレは青山にあった会社の合宿所に住んでたけど、
    店に通いやすいように浅草のそばの向島に引っ越したくらい。
    結婚は73年なんだけど、つらかったのは、72年に米国遠征してた時。毎月の電話代が30万円かかったからね。
    アメリカではビールばかり一晩に何ダースも飲んでたけど、酒代より電話代が高かった。アッハッハ。

    ■国際プロレス入りまで一滴も飲まなかった

    嫌な思い出っていうとオヤジかな。オレがまだ小学校の頃、オヤジは商売に失敗して、別人みたいになっちゃってさ。
    酒が入ると、始末に負えない。漫画「巨人の星」で星一徹がかんしゃく起こしてご飯がのった卓袱をひっくり返すだろ? 
    ウチのオヤジがあれするもんだから、酒がトラウマになっちゃってさ。

    結局、オヤジの酒癖の悪さが原因で、オフクロは俺と妹を連れて大阪の親戚を頼って引っ越すんだけど、
    大暴れするオヤジを目の当たりにしてるから「飲むもんか!」って思ったね。

    酒嫌いに拍車が掛かったのは中学を卒業後。横浜の飯場で働いてた時、普段はおとなしいのに酒が入ると豹変する先輩がいてさ。
    酔っぱらって、当時、市内を走ってた市電を通せんぼして止めるんだから参るよ。
    そんなのを見ちゃうと酒ってヤダなあって思うよね。

    だから、オレ、21歳で国際プロレスに入団するまで一滴も酒は飲まなかったんだ。
    ただ、入団しちゃうとそうも言ってられない。熊本出身で酒豪で知られる看板レスラーのグレート草津さんの付け人になったからね。
    先輩に「飲め」と言われたら、飲むしかないのがこの世界。ましてや70年代、80年代はプロレスが国民的な人気だったから、
    年間250試合前後、全国を回るだろ。地方で羽目外すことが多くて。そりゃあ、酒が強くなるよ。

    ■20時間近く飲み続けて取材を受けたことも

    量? 飲みだしたらいちいち数えてなんかいないよ。ただ、引退後にこんなことがあった。
    ある日の夕方、気の置けない友人と浅草の自宅の近所で飲み始め、ハシゴになったことがあってさ。
    4軒目で、気が付いたら夜が明けてた。多分、飲む相手は入れ代わり立ち代わりだったと思うよ。

    それでも飲み足りなくて飲み続け、昼過ぎにいたのがトンカツ屋。
    そしたら、女房と(浜口)京子が息せき切ってやってきて、「パパ、取材忘れてない?」って。

    週刊誌の取材が入ってたんだ。うっかりスッポかすところだったけど、約束の時間には間に合って、
    取材も撮影も無事終了。20時間近く飲み続けてたのにベロベロにはなってなかったよ。

    還暦過ぎてからはさすがに酒量は落ちた。それでも、飲んでるのは相変わらずさ。
    オレにとっちゃ、お酒は自分自身へのご褒美。楽しく飲んで語らって明日への活力にする。きっと死ぬまでやめられないんだろうね。

    http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/157981/1
    2015年3月15日 



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    1: きのこ記者φ ★@\(^o^)/ 2015/03/14(土) 09:09:04.05 ID:???*.net
    歌手・みずき舞(40)が13日、都内で新曲「キスしてね…」の発売記念イベントを行い、
    元プロレスラーの夫・小橋建太氏(47)から、タイトルにちなんでキスの激励を受けた。

    2010年10月に挙式した際は、カメラマンのリクエストに応じ、みずきから小橋氏へのキスを7回披露した。
    この日は小橋氏が得意技のマシンガンチョップならぬ“マシンガンキス”でみずきに6回も口づけ。

    夫婦げんかは一度もなく、キスは「コミュニケーションの一つ」(小橋氏)で夫婦円満の秘けつ。
    みずきも「女性からはなかなか“キスしてね”とは言いにくいので、この歌で思いを代弁してほしい」とアピールした。



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    1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/03/13(金) 10:15:18.56 ID:???*.net
    昭和のプロレス黄金期を彩った外国人レスラーが、また一人、この世を去った。
    ウィリエム・ルスカさん、享年74。
    1940年、オランダに生まれたルスカさんは入隊した海軍で柔道に出合う。
    すぐに頭角を現し、世界選手権で2度の優勝に輝いたあとの72年、ミュンヘン五輪の柔道男子93キロ超級と無差別級で2階級制覇の偉業を達成した。

    「オランダ柔道界の英雄だったルスカさんですが、奥様の病気の治療費を稼ぐため、プロ格闘家に転向。
    76年2月、アントニオ猪木を相手に『格闘技世界一決定戦』でプロデビュー。激闘の末、TKO負けを喫したものの、
    全身を真っ赤に染め上げる闘志むき出しのファイトで、試合を大いに盛り上げました」(スポーツ紙記者)

    以後、ルスカさんは新日本プロレスに定期参戦している。当時、同団体のメインレフェリーで、外国人の世話係も務めていたミスター高橋氏はこう語る。
    「ルスカはナチュラルパワーというか、腕っぷしの強さが半端ではなかった。
    巡業中にリック・ハンターというレスラーとケンカになった。慌てて止めに入ったのですが、ルスカが腕で振り払っただけで、
    当時100キロあった私は吹っ飛ばされてしまいました」

    ケンカの強さから、レスラー仲間も一目置いていたルスカさん。やはり、元金メダリストの"肩書き"はダテではなかったようだ。
    「巡業先の体育館に併設された柔道場をのぞくと、ルスカもちょうど来ていた。
    壁に掛けてあった柔道着が目に入り、出来心でちょっと手合わせをお願いしたのですが、すぐ後悔しました。
    道着の上衣だけを着た私がルスカと組んだ瞬間、畳に強く打ちつけられていた。まさに電光石火でした」

    それで終わりかと思いきや、その後、ルスカさんは笑顔のまま"柔道レッスン"を続行したという。
    「もちろん、手を抜いてくれているんですが、とにかく強烈。"ギブアップ!"と言っても、
    ちゃめっ気たっぷりに"NO~NO~"と言って引き起こされました。
    ルスカお得意のイタズラ心だったんでしょう」
    腕っぷしの強さと並び、有名だったのがこのイタズラ好き。グレート・アントニオのシャツが臭いからとバケツに入れて小便をかけ、
    控え室に置いてあったスタン・ハンセンのメガネのレンズを油性マジックで黒く塗る……そのイタズラは、とにかくぶっ飛んでいた。
    01年、ヨットでの航行中に脳出血で倒れ、長らく闘病生活を送っていたルスカさん。オランダが生んだ永遠の悪ガキに、合掌。

    http://dmm-news.com/article/926235/
    日刊大衆 2015.03.13 09:00



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    1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/03/11(水) 14:01:36.56 ID:???*.net
    プロレス界の生きるレジェンド、蝶野正洋さん。実は筋金入りのラーメン好きで、これまでに7300杯以上は食べてきたという。

    そんな蝶野さんが“青春の味”と呼ぶ店が東京都調布市にある熊王ラーメン。
    5年ぶりに来訪した同店で、その忘れられない味への熱い思いを語った。

    若い頃は、ラーメンを1日最低1杯、多い時は3杯も食べるという生活を20年間続けたほど大の麺好き。

    そんな蝶野さんの“青春の味”は、東京都調布市の人気ラーメン店、熊王ラーメンの1杯だそう。

    以前、この近くに住んでいたため、“ワル”だった高校時代から通っていたとのこと。

    「初めて来たのは高1の時。当時から行列店だったんだけど、行儀よく静かに食べないと怒られる怖い店としても地元じゃ有名で。
    パンチパーマかけてツッパってるオレらでさえ、店内では“気をつけ”して待ってたもんな(笑)」。

    5年ぶりの来店となる蝶野さんが頼んだのは、同店の看板メニュー「しょうゆラーメン」。

    「いただきます!(ズズっとすすって)いやぁ、相変わらずうまいね。
    ラーメンの王道のシンプルなしょうゆ味。
    これまでいろいろなラーメンを食べてきたけど、やっぱり安定してるよな。
    何十年経っても変わらない味が食べられるっていうのはうれしいぜ!」

    “蝶野パワー”の源ともいうべき熊王ラーメンの一杯をぜひ食べてほしい。

    ■蝶野正洋(ちょうのまさひろ)

    1963年、東京都三鷹市生まれ。1984年にプロレスラーとしてデビュー。
    今もなお“黒のカリスマ”としてプロレス界に君臨し続けている。
    ファッションブランド「ARISTRIST」を手掛けるなど、本業以外でも精力的に活動。 



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