イヤァオ!速報 プロレスまとめサイト

2chプロレスをまとめるか、まとめないか    答えはこうだ イヤァオ!!

    プロレスニュース

    1: 名無しさん@恐縮です 2020/02/19(水) 15:06:00.91 ID:U1DR7SwG9
    新日本プロレス“平成・黄金期”を戦い抜いた侍 越中詩郎インタビュー
     プロレス界で今なお語り継がれる伝説の軍団・平成維震軍が、初の共著「平成維新軍『覇』道に生きた男たち」(辰巳出版/G SPIRITS BOOK)を上梓した。
    越中詩郎、小林邦昭、木村健悟、ザ・グレート・カブキ、青柳政司、齋藤彰俊、AKIRAがそれぞれの視点から当時を回想し、本隊とは真逆の視点から1990年代の新日本プロレスを紐解いた一冊となっている。
    このたび、平成維震軍のリーダーである越中がENCOUNTのインタビューに応じ、平成維震軍が戦い抜いた、新日本プロレス“平成・黄金期”のエピソードを明かしてくれた。

    ――平成維震軍メンバーによる初の共著となりますが、執筆のキッカケを教えてください。

    「2017年にプロレスリング・マスターズで平成維震軍が復活して、去年俺のデビュー40周年記念大会でも平成維震軍の仲間と組んで、集まる機会があったんだよね。
    新日本プロレスでバリバリやっていたのは、もう20年以上前。やっている方もビックリしているけど、こんなに続いている軍団も珍しいじゃない。
    平成という時代が終わって令和になったことをキッカケに、平成維震軍という軍団の活動、歴史を振り返るのも面白いんじゃないかと思って、共著という形で1冊の本にまとめました」

    ――平成維震軍が駆け抜けた1990年代は、新日本プロレスの“平成・黄金期”と呼ばれる時代でしたが、越中選手にとってはどんな時代でしたか。

    「やっている方は戦国時代ですよ。猪木さんがいて、藤波さん、長州さんがいて、闘魂三銃士がいて、馳と健介がいて、外国人はベイダーとかスコット・ノートンがいたりして、
    毎日張り詰めていて、当時は年間200を超えるくらいの試合をしていたね、勢いに乗っちゃて。
    新日本プロレスがオフの期間も平成維震軍は他の団体で試合をしていたから、試合、試合、試合って感じでしか印象がなくて、試合の内容も憶えていないくらいだよ」

    ――年間200試合もあると試合はもちろん、移動も大変ですね。

    「長いシリーズがあって、5週間家に帰れなかったこともあった。あと広島で試合をして、次の日は山形で試合とか、体育館の空き状況でスケジュールを決めるので、
    西から順番に、北から順番にというわけにはいかない。あっち行ったり、こっち行ったりと日本中を毎日移動していたよね。
    どこに行ってもお客さんが入ってくれて、何年も満員御礼が続いてたみたいですよ」

    ――平成維震軍結成当時、越中選手が「平成維震軍」で目指したものとはなんだったのでしょうか。

    「そういうことは考えていないんですよ。事件が起きちゃって(後楽園ホール殴打事件、青柳政司率いる誠心会館との抗争に発展)、引くに引けなくなって、前に出ていっちゃっただけだから(笑)。
    でも、出ていったからには、やってやろうという気持ち。それが、こんなにも続くなんて夢にも思わなかったよね。
    当時はポシャったらポシャっただな、と開き直りみたいなのと、泥臭く行こうぜというのは思っていました」

    ――1990年代は闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)も活躍した時代です。当時、闘魂三銃士のことはどう思っていましたか。

    「別にどうとも思ってなかった。彼らは彼ら、僕らは僕ら。彼らに限らず、いっぱい選手がいるわけですよ。反骨心も全員に対して。
    長州さんや天龍さんにぶつかっていって、粉々に砕かれて、また立ち向かっていく、という繰り返しじゃないですか。当時、新日本のリングに上っていた選手たちは個性も強烈でしたよね」

    ――平成維震軍でUWFインターナショナルやWARの興行に乗り込むこともありました。

    「観客は9対1くらいで、向こうのファン。敵地に乗り込む感じで、あの時は気持ちよかったよね。『見てろよ、お前ら!』って燃えましたよ」

    ――著書では“維震魂”という言葉がありますが、越中選手にとって“維震魂”とは。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200219-00010000-encount-fight 
    【時代を駆け抜けた“平成維震軍”越中詩郎 1990年代新日本プロレスの裏話明かす】の続きを読む

    159

    1: 名無しさん@恐縮です 2020/02/19(水) 07:14:00.35 ID:U1DR7SwG9
    元プロレスラーの小橋建太氏が18日、ツイッターを更新。両膝の人工関節置換術が成功したことを報告した。

    「両膝の手術は約6時間半かかりました」と振り返った小橋氏。医師からは「小橋さんの骨 硬すぎます。
    骨を削るドリルのバッテリーが何回もあがりましたよ!!」と伝えられたという。
    激闘の痕が体に刻まれており、「先生もビックリ!特に右足は何回も手術をしてるので、傷口の癒着が酷く先生も初めて見る膝の状態だったそうです」と明かした。

    手術前には武藤敬司のツイートに対し、「何回断っても何度もリング復帰を誘ってくれる武藤さん。たとえ膝が良くなっても100%復帰はありません!」と返信。
    手術が終わり、「成功!後は立ち上がり前に進むだけだ『いくぞー』!!」と締めくくった。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200218-00000144-dal-fight 


    【小橋建太氏 両膝「6時間半」の大手術 医師びっくり「骨 硬すぎます」】の続きを読む

    1: 名無しさん@恐縮です 2020/02/19(水) 17:29:39.75 ID:MxQAymSP9
    初代タイガーマスクの佐山サトル(62)が主宰する「リアルジャパンプロレス」の新間寿会長(84)は19日、都内で会見し、佐山が原因不明の体調不良に陥っていることを明かした。


     初代タイガーは2016年12月の6人タッグマッチを最後に心臓疾患などの影響で欠場が続いている。新間氏は今月15日に都内で行われたトークイベントで佐山と対面したことを明かし「今の状況から言うとリングカムバックはとてもじゃないけど見通しが立たない。パーキンソン病に近い状態。患っている病気がなんなのか分からない状態です。普通に歩けるけど、前に障害があると歩けない状態です」と原因不明の体調不良に陥っていることを明かした。

     その上で現在、都内の病院で検査を繰り返しており、最終的な検査結果が今月24日に判明することを明かした。リアルジャパンは3月19日に後楽園ホールで旗揚げ15周年記念の第一弾大会を開催する。24日の結果次第で「タイガーに3月19日にリングサイドに来てもらって元気な姿を見てもらいたい」と願っていた。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200219-02190087-sph-fight


    【初代タイガーマスク、原因不明の体調不良「パーキンソン病に近い状態。リングカムバックは見通しが立たない」】の続きを読む

    1: 名無しさん@1周年 2020/02/19(水) 18:35:11.48 ID:yOI6No/a9

    れいわ新選組が次期衆院選で自民党現職の安倍晋三首相の山口4区に、下関市のプロレスラー竹村克司氏(47)を擁立する方針を固めたことが19日、関係者への取材で分かった。山本太郎代表が首相の選挙区に候補を立てると表明していた。

     竹村氏は京都府城陽市出身。「竹村豪氏(かつし)」のリングネームで新日本プロレスなどで活躍。2009年に引退後、下関市で介護福祉施設などを経営する一方、1年前にレスラーに復帰した。消費税5%減税で野党共闘できない場合に100人規模の独自候補擁立を目指す同党の公募に応募していたという。

     竹村氏は中国新聞の取材に「いまは何も答えられない」としている。

     竹村氏は「ドラゴン」藤波辰爾さんに教えを請い、タイガーマスク選手たちと渡り合った。昨年2月、アントニオ猪木さんとの「巌流島の闘い」で知られるマサ斎藤さんの追悼興行でレスラーに復帰した。

     同党の山本代表は昨年12月、中国新聞のインタビューで山口4区に「れいわの候補を絶対立てる。古い政治との決別を態度で示す」と話していた。

     山口4区ではほかに立候補の動きはない。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200219-00010002-chugoku-pol

    【安倍首相選挙区にレスラー参戦 元新日本プロレス「竹村豪氏」氏 次期衆院選、れいわが擁立方針】の続きを読む


    1: 名無しさん@恐縮です 2020/02/17(月) 20:50:47.01 ID:kv+a+4S89
    「プロレスリング・マスターズで復帰しましょう!」

    W-1の武藤敬司が17日、ツイッターを更新。人工関節置換術を決断した鉄人・小橋建太にエールを送った。

    武藤は「約束通り黙っていましたので、膝が完治した際はプロレスリング・マスターズで復帰しましょう!」とツイートし、回復後には自身が主催する大会に招待する考えを明かした。

    武藤の言う“約束“とは何か? 小橋がツイッターでそのエピソードを明かしている。

    発端は2年前の節分の日。豆まきで一緒になった際に、武藤から「今度、人工関節にする事に決めたよ。まだ発表してないけどね」と告げられた。
    そして、今年の豆まきでは今度は小橋が「人工関節の手術を決めました。まだ発表してないですが」と武藤に伝えた。

    すかさず「Twitterに書いていい?」と反応した武藤に対し、小橋は「ダメですよ。前科があるんですから(笑)」とかん口令を敷いた。
    これが“約束“で、武藤は情報が公になるまで守っていたというわけだ。

    小橋にとって人工関節の“先輩“武藤からのエールは大きな励みになったはずだ。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200217-00010013-encount-fight 


    【武藤敬司 人工関節手術の小橋建太にエール「約束通り黙っていましたので、膝が完治した際は…」】の続きを読む

    このページのトップヘ