1: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:14:09.04 ID:wFz+EEJn9
https://i.imgur.com/8ERu6C7.jpg
長くトップ外国人レスラーとして日本のリングに君臨したスタン・ハンセンさん(米国)が引退して今年で20年になる。
1975年(昭50)の初来日からラストファイトとなった2000年(平13)10月28日の全日本プロレス日本武道館大会まで四半世紀、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、三沢光晴ら日本のトップレスラーと、数々の名勝負をプロレス史に刻んできた。
昨年11月、故ザ・デストロイヤーさんの追悼興行で来日した彼を、約30年ぶりに取材する機会に恵まれた。現在の暮らしぶりから、現役時代のエピソード、日本のプロレスへの思い、そして、あの一世を風靡(ふうび)した必殺技『ウエスタン・ラリアット』誕生秘話まで、じっくりと話を聞いた。
◇ ◇ ◇
現役時代と同じテンガロンハットをかぶったハンセンさんは、取材中ずっと柔和な笑顔だった。リングに別れを告げて18年。19年8月には70歳の古希を迎えた。目尻を下げて穏やかに語る姿に、あのたけだけしい“不沈艦”の片りんはなかった。
「週に5、6回はジムに通って、自転車をこいだりしています。それから日本人の妻が心臓外科の看護師をしているので、私が代わりに毎日食事の準備をします。昔は肉ばかり食べていましたが、今は週に1、2度ほどで、魚を週2、3度食べるようになりました。ベジタリアン(菜食主義者)ではありませんが、野菜もすごく食べるようになりました。いい生活です」
現役時代は195センチ、140キロの巨体を生かした桁外れのパワーとタフネスで、日本人レスラーたちの高い壁となり、その妥協のない全力ファイトは日本のファンからも支持された。一方で長い間、肉体を酷使し続けた代償は決して小さくなかった。
引退直後に2度の大手術を受けた。1つは背中の腫瘍の除去手術。マットにたたきつけられ続けた影響でできた背中の腫瘍が、脊椎を圧迫して体の一部がまひしていたためだ。もう1つが関節が摩耗して、骨が砕けていた両ひざに人工関節を入れる手術だっだ。幸い日常生活を送れるまで回復したが、代償はそれだけではなかったという。
「実はその後、両肩も手術して人工関節に取り換えました。これから右手首も手術する予定です。でも、それ以外は今のところ健康です。気分はいいですし、元気ですよ。たぶんね(笑い)」
アメリカンフットボールの選手だったハンセンさんは、ウエスト・テキサス大を卒業した72年、NFLのボルティモア・コルツに入団したものの、ほどなくして解雇された。ちょうどその頃、大学の先輩で日本でも人気レスラーだったテリー・ファンクの誘いを受けてプロレスに転向した。
75年、26歳の時に全日本プロレスに参戦するため初来日した。77年には新日本と契約してアントニオ猪木の宿敵としてトップ外国人レスラーに君臨。81年の全日本復帰後は馬場、鶴田、天龍、三沢ら日本の歴代王者らと名勝負を繰り広げた。どの試合も激しく、白熱した。あのタフネスとパワー、無尽蔵のスタミナはどうやって身に付けたのか。
「自分のストロングポイントは実はパワーではなく持久力でした。だからパワーより心肺機能を高めてスタミナをつける練習を重視していました。毎日、朝食前にホテルの階段を上り下りするトレーニングを続けていたのです。それが私のプロレス人生を支えてきたのだと思っています。あの(225センチ、230キロの大巨人)アンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦前だってパワー系の特別なトレーニングはしていません。試合の流れの中でチャンスをうまくつかもうと考えていました」。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200408-24080313-nksports-spo
長くトップ外国人レスラーとして日本のリングに君臨したスタン・ハンセンさん(米国)が引退して今年で20年になる。
1975年(昭50)の初来日からラストファイトとなった2000年(平13)10月28日の全日本プロレス日本武道館大会まで四半世紀、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、三沢光晴ら日本のトップレスラーと、数々の名勝負をプロレス史に刻んできた。
昨年11月、故ザ・デストロイヤーさんの追悼興行で来日した彼を、約30年ぶりに取材する機会に恵まれた。現在の暮らしぶりから、現役時代のエピソード、日本のプロレスへの思い、そして、あの一世を風靡(ふうび)した必殺技『ウエスタン・ラリアット』誕生秘話まで、じっくりと話を聞いた。
◇ ◇ ◇
現役時代と同じテンガロンハットをかぶったハンセンさんは、取材中ずっと柔和な笑顔だった。リングに別れを告げて18年。19年8月には70歳の古希を迎えた。目尻を下げて穏やかに語る姿に、あのたけだけしい“不沈艦”の片りんはなかった。
「週に5、6回はジムに通って、自転車をこいだりしています。それから日本人の妻が心臓外科の看護師をしているので、私が代わりに毎日食事の準備をします。昔は肉ばかり食べていましたが、今は週に1、2度ほどで、魚を週2、3度食べるようになりました。ベジタリアン(菜食主義者)ではありませんが、野菜もすごく食べるようになりました。いい生活です」
現役時代は195センチ、140キロの巨体を生かした桁外れのパワーとタフネスで、日本人レスラーたちの高い壁となり、その妥協のない全力ファイトは日本のファンからも支持された。一方で長い間、肉体を酷使し続けた代償は決して小さくなかった。
引退直後に2度の大手術を受けた。1つは背中の腫瘍の除去手術。マットにたたきつけられ続けた影響でできた背中の腫瘍が、脊椎を圧迫して体の一部がまひしていたためだ。もう1つが関節が摩耗して、骨が砕けていた両ひざに人工関節を入れる手術だっだ。幸い日常生活を送れるまで回復したが、代償はそれだけではなかったという。
「実はその後、両肩も手術して人工関節に取り換えました。これから右手首も手術する予定です。でも、それ以外は今のところ健康です。気分はいいですし、元気ですよ。たぶんね(笑い)」
アメリカンフットボールの選手だったハンセンさんは、ウエスト・テキサス大を卒業した72年、NFLのボルティモア・コルツに入団したものの、ほどなくして解雇された。ちょうどその頃、大学の先輩で日本でも人気レスラーだったテリー・ファンクの誘いを受けてプロレスに転向した。
75年、26歳の時に全日本プロレスに参戦するため初来日した。77年には新日本と契約してアントニオ猪木の宿敵としてトップ外国人レスラーに君臨。81年の全日本復帰後は馬場、鶴田、天龍、三沢ら日本の歴代王者らと名勝負を繰り広げた。どの試合も激しく、白熱した。あのタフネスとパワー、無尽蔵のスタミナはどうやって身に付けたのか。
「自分のストロングポイントは実はパワーではなく持久力でした。だからパワーより心肺機能を高めてスタミナをつける練習を重視していました。毎日、朝食前にホテルの階段を上り下りするトレーニングを続けていたのです。それが私のプロレス人生を支えてきたのだと思っています。あの(225センチ、230キロの大巨人)アンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦前だってパワー系の特別なトレーニングはしていません。試合の流れの中でチャンスをうまくつかもうと考えていました」。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200408-24080313-nksports-spo
5: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:15:07.31 ID:uhaivGbe0
Wiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!
7: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:19:22.61 ID:zAdcn1YJ0
技の説得力って点で素晴らしいレスラーだったな
ハンセンのラリアットを食らえば猪木でもフォールされるしかなかった
それに比べてリキラリアットの説得力のなさよ・・・
ハンセンのラリアットを食らえば猪木でもフォールされるしかなかった
それに比べてリキラリアットの説得力のなさよ・・・
8: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:19:27.40 ID:ils2PjnE0
なんでハンセンのラリアットはあんなに強かったの?
40: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:34:24.34 ID:fMM2LcQB0
>>8
身体のぶつけ方と腕の振り回し方が元祖ならではの絶妙のタイミングで説得力に繋がってる。
つまりラリアットという技の出し方に関しては天才。
それプラス背の低い日本人にはさらに説得力増してた、のはあると思う
身体のぶつけ方と腕の振り回し方が元祖ならではの絶妙のタイミングで説得力に繋がってる。
つまりラリアットという技の出し方に関しては天才。
それプラス背の低い日本人にはさらに説得力増してた、のはあると思う
55: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:43:41.36 ID:qx85cCqD0
>>8
ドラム缶を抱き潰すほどの腕力だよ(アントニオ猪木談)
ドラム缶を抱き潰すほどの腕力だよ(アントニオ猪木談)
106: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 18:29:16.68 ID:1HDRAxw70
>>8
他のレスラーは走りながら伸ばした手を当ててるだけ
ハンセンは絶妙のタイミングで上腕辺りで殴ってる
他のレスラーは走りながら伸ばした手を当ててるだけ
ハンセンは絶妙のタイミングで上腕辺りで殴ってる
132: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 19:22:06.96 ID:7JK1pBYy0
>>8
あの黒い腕輪の中に秘密があったのかも
あの黒い腕輪の中に秘密があったのかも
9: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:19:53.09 ID:hNguBrZi0
涙のしょっぱい味付けでパンを食った人間でなければ 本当の人生に対するファイトはわかない
11: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:23:25.35 ID:v63nWul40
Youth!!!
14: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:25:18.44 ID:5+io9fps0
俺としてはドロップキックの時のジャンプ力も
話題にしたい
話題にしたい
15: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:25:28.97 ID:8hJahdZY0
ディーーーーーヤッ
24: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:27:24.39 ID:BLwbevYl0
>>15
座ってる相手の背後からエルボー落としたのが
鮮明に見えた
座ってる相手の背後からエルボー落としたのが
鮮明に見えた
17: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:25:45.45 ID:lZe2NpxO0
ハンセンかっけえわ
19: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:26:12.12 ID:fBzcbxZY0
左腕のサポーターを触っただけで会場の熱気が激上がりする
一発の必殺技をあれだけのステータスに仕立てていたのには感服する
一発の必殺技をあれだけのステータスに仕立てていたのには感服する
20: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:26:19.48 ID:nvgMPlK80
木にぶら下げたタイヤにひたすら腕をぶつけてたんだよね
29: お前名無しだろ 2020/04/08(水) 17:29:14.29 ID:268PyWXs0
今やすっかり好々爺だもんな、あんな酷いことしてたのにw
体のメンテも大変だろうけど、それでも元レスラーとしては元気な感じで何よりだ
引用元/http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1586333649/体のメンテも大変だろうけど、それでも元レスラーとしては元気な感じで何よりだ
コメント
コメント一覧
1回見ると、2回目から来るぞ!って感じに自然となれるし
中島体育センターで観た馬場ハンセン組対三沢小橋は最高に興奮しましたわ!
真実はサンマルチノ側のアクシデントを利用した博付けだった。
この辺はアンドレの脚を折ったキラーカーンと同じで、アクシデントを上手く利用するのがアメリカのプロレス。
>>34
ハンセンのボディスラムが滑ってサンマルチノが首から落ちたので、原因はどっちにしろハンセン
前田日明「プロレスで一番痛かったのは若手時代にハンセンに食らったラリアット」
ハンセンはド近眼なので1番デカい前田が標的になってたwww
1番リアルなアメリカンという感じ。
西部風で髭蓄えて、体格も良くて…
小橋やオカダのは明らかに受ける側が待ってるし、やっぱ走り込みと腕全体を振り抜くタイミングが秀逸
コルツ入団まで行ったとか、メチャメチャスポーツエリートだったんだ…。
まぁ確かに、ファレのクイックネスや反応速度が上がった感じだったからな。
カウンター当てるのメチャメチャ上手かった。
毎回ハンセンが腕のサポーター下ろした時の相手選手オワタ感は見てて楽しかった
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