2016年03月
新日本プロレス NJC二夜明け会見と次期シリーズのカードを発表
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“白い天使”優華が若手リーグ戦を制覇し富士山山頂プロレスをぶち上げ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160313-00010004-battlen-fight
13日、新宿FACEにてプロレスリングWAVE『Sunday WAVE vol.29』が行われた。
WAVEが主催する女子プロ界のシングルリーグ戦『Catch the WAVE』を前に、若手を対象として行われる『CATCH THE WAVEヤングブロック』が今年も開戦。
Aブロックは長浜浩江(WAVE)が全勝優勝で突破。Bブロックは混戦となる中、優華が2勝1敗で決勝に進出。
優華は2年連続の決勝進出となり、長浜にとっては去年のトーナメントで敗北を喫した相手であるため雪辱戦に。
激しいエルボー合戦の末、優華がエンジェルサンダーを放つがこれをかわした長浜がサクラ落とし。だがすぐに優華もエンジェル・トランペット・スープレックスで叩き付け両者ダウン。
再度エルボー合戦から長浜カサドーラも、返した優華がスクールガールで3カウント。
見事他団体のリーグ戦で優勝した優華は賞金50万円と小波女の称号をゲット。
優華は鼻歌を歌いながらインタビュースペースに現れると「アイスリボンがWAVEさんのこういう賞とかをもらったことがないんです。
私が絶対にアイスリボンの新人を背負って、『小波女取ってやる!』とずっと思っていたけど去年負けてしまってすっごい悔しい思いをして。
だから、今年はこの小波女に懸けるものは自分は本当に最大級のものでした。賞金の50万円は富士山に登りたいなって。
富士山登って、まず25万円は富士山に登って、そこで試合ができるかを観察してきて、残りのお金でマットか道場プロレスかで、富士山の山頂でプロレスしたいなって気分です」と富士山山頂プロレス開催をぶち上げた。
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13日、新宿FACEにてプロレスリングWAVE『Sunday WAVE vol.29』が行われた。
WAVEが主催する女子プロ界のシングルリーグ戦『Catch the WAVE』を前に、若手を対象として行われる『CATCH THE WAVEヤングブロック』が今年も開戦。
Aブロックは長浜浩江(WAVE)が全勝優勝で突破。Bブロックは混戦となる中、優華が2勝1敗で決勝に進出。
優華は2年連続の決勝進出となり、長浜にとっては去年のトーナメントで敗北を喫した相手であるため雪辱戦に。
激しいエルボー合戦の末、優華がエンジェルサンダーを放つがこれをかわした長浜がサクラ落とし。だがすぐに優華もエンジェル・トランペット・スープレックスで叩き付け両者ダウン。
再度エルボー合戦から長浜カサドーラも、返した優華がスクールガールで3カウント。
見事他団体のリーグ戦で優勝した優華は賞金50万円と小波女の称号をゲット。
優華は鼻歌を歌いながらインタビュースペースに現れると「アイスリボンがWAVEさんのこういう賞とかをもらったことがないんです。
私が絶対にアイスリボンの新人を背負って、『小波女取ってやる!』とずっと思っていたけど去年負けてしまってすっごい悔しい思いをして。
だから、今年はこの小波女に懸けるものは自分は本当に最大級のものでした。賞金の50万円は富士山に登りたいなって。
富士山登って、まず25万円は富士山に登って、そこで試合ができるかを観察してきて、残りのお金でマットか道場プロレスかで、富士山の山頂でプロレスしたいなって気分です」と富士山山頂プロレス開催をぶち上げた。
坂口征二が語る「馬場と猪木」本当の仲
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1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 投稿日:2016/03/14(月) 06:10:57.31 ID:CAP
両雄並び立たずとよく言う。17年前に61歳で逝ったジャイアント馬場とアントニオ猪木(73)もまた然りである。
両者の不仲説は有名だが、その原点は、猪木の日本プロレス追放劇(1971年12月)と言われる。
当時、彼らの後輩だった新日本プロレス相談役の坂口征二氏(74)が、二人の“本当の仲”について初めて語った。
***
坂口氏に二人の仲について単刀直入に聞くと、
「今回の取材は答えにくい話だな。こんな真正面から聞かれたことは、今までになかったからね。皆聞きづらいだろうよ」
と語るように、プロレス関係者の間では“タブー”とされていた。
坂口氏が馬場の誘いで、日本プロレス入りしたのは67年2月。米国修行を終え帰国、猪木と初めて会ったのは70年3月頃だったが、
「その頃から猪木さんには、馬場さんに対する対抗心があったと思う」
と、坂口氏が続ける。
「馬場さんと猪木さんは、同期だけど、プロレス入りした時から待遇が違った。
馬場さんは、マイペースな性格だったけど、力道山の下、エリートコースを進んだ。
一方、猪木さんは下積みをやらされた。辛い時期があったから、馬場さんに対して“そうはいくか”という気持ちがあったんじゃないかな」
それを象徴するこんな逸話がある。
「下積み時代、猪木さんは練習中、他のレスラーに“馬場さんはバーベルを何回上げた?”と聞いた。
相手が30回と答えると、猪木さんは50回上げたそうだ。
地方巡業中の休みの時なんかは、オレや馬場さんは旅館で麻雀をしていても、猪木さんは山本小鉄さんや他のレスラーと早朝からトレーニングしている。
派閥とは言わないまでも、馬場さんと猪木さんのグループに分かれていたね」
猪木は、当時から大言壮語を並べることで知られていた。日本プロレス時代、
「猪木さんは、馬場さんとの対決をコミッショナーに訴えたことがあったが、当時は外国人レスラーと日本人の対決がメイン。
日本人同士で戦うなんて前座や若手でなければあり得なかった。
猪木さんも却下されるのを見越して対決を要求したのだろうが、思ったことは直ぐに言っちゃう性格なんだ。
馬場さんは、そういう猪木さんの発言に対しては、一切答えなかったね」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160314-00506500-shincho-fight
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両者の不仲説は有名だが、その原点は、猪木の日本プロレス追放劇(1971年12月)と言われる。
当時、彼らの後輩だった新日本プロレス相談役の坂口征二氏(74)が、二人の“本当の仲”について初めて語った。
***
坂口氏に二人の仲について単刀直入に聞くと、
「今回の取材は答えにくい話だな。こんな真正面から聞かれたことは、今までになかったからね。皆聞きづらいだろうよ」
と語るように、プロレス関係者の間では“タブー”とされていた。
坂口氏が馬場の誘いで、日本プロレス入りしたのは67年2月。米国修行を終え帰国、猪木と初めて会ったのは70年3月頃だったが、
「その頃から猪木さんには、馬場さんに対する対抗心があったと思う」
と、坂口氏が続ける。
「馬場さんと猪木さんは、同期だけど、プロレス入りした時から待遇が違った。
馬場さんは、マイペースな性格だったけど、力道山の下、エリートコースを進んだ。
一方、猪木さんは下積みをやらされた。辛い時期があったから、馬場さんに対して“そうはいくか”という気持ちがあったんじゃないかな」
それを象徴するこんな逸話がある。
「下積み時代、猪木さんは練習中、他のレスラーに“馬場さんはバーベルを何回上げた?”と聞いた。
相手が30回と答えると、猪木さんは50回上げたそうだ。
地方巡業中の休みの時なんかは、オレや馬場さんは旅館で麻雀をしていても、猪木さんは山本小鉄さんや他のレスラーと早朝からトレーニングしている。
派閥とは言わないまでも、馬場さんと猪木さんのグループに分かれていたね」
猪木は、当時から大言壮語を並べることで知られていた。日本プロレス時代、
「猪木さんは、馬場さんとの対決をコミッショナーに訴えたことがあったが、当時は外国人レスラーと日本人の対決がメイン。
日本人同士で戦うなんて前座や若手でなければあり得なかった。
猪木さんも却下されるのを見越して対決を要求したのだろうが、思ったことは直ぐに言っちゃう性格なんだ。
馬場さんは、そういう猪木さんの発言に対しては、一切答えなかったね」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160314-00506500-shincho-fight
インターコンチの次の挑戦者は誰?【新日本プロレス】
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601: お前名無しだろ 2016/03/12(土) 20:36:10.10 ID:cS392iGa.net
IWGPもネバーもヘビータッグもROHも決まったけど、インターコンチの次の展開全然読めないな
BC分裂アングルなさそうだしなぁ
BC分裂アングルなさそうだしなぁ
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