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    2015年06月

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    1: THE FURYφ ★@\(^o^)/ 2015/06/07(日) 01:11:31.56 ID:???*.net
    リアルジャパン、TIGER ARTS(タイガーアーツ)、日本マテリアルの3社は、
    純金5キロを使用した「初代タイガーマスク"純金マスク"」を制作。6月11日に
    後楽園ホールで開催する「初代タイガーマスク黄金伝説~LEGEND OF
    THE GOLD~」大会のリング上で初披露する。

    初代タイガーマスクが設立したリアルジャパン、初代タイガーマスクの
    オフィシャルブランドTIGER ARTS、貴金属メーカーの日本マテリアルが
    タッグを組み、初代タイガーマスクのデビュー35周年、リアルジャパンプロレス
    10周年を記念した「初代タイガーマスク 黄金伝説プロジェクト」を始動する。

    このプロジェクトの皮切りとして制作されたものが、初代タイガーマスク
    "純金マスク"だ。初代タイガーマスクの佐山サトル氏、マスク職人の
    中村ユキヒロ氏、金工職人の川野悟氏が協力して制作された。額には
    9.97カラットのルビーを使用。販売価格は6000万円(税抜き)。

    http://cyclestyle.net/article/2015/06/05/23839.html



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    1: シャチ ★@\(^o^)/ 2015/06/05(金) 16:14:35.16 ID:???*.net
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150605-00000056-dal-fight
    狭心症で5月22日に緊急手術を行った初代タイガーマスクが5日、都内で会見を行い、病状を報告した。

     4月24日に都内で行われた『初代タイガーマスク基金チャリティーパーティー』以来の公の場となった初代タイガーは
    「医者からは『いつ突然死してもおかしくない状態』だと。相当ひどかった。あらゆる数値が悪かった」と深刻な状況だったことを説明。
    小学校低学年時代に心臓を患って入院した経験があり、先天的に細かった血管を含め、カテーテル手術で治療したことを明かした。

     また、入院前はあまりの体調の悪さに「死ぬかも知れない」と思ったといい、
    関係者らに「集大成」という8月発表予定の新格闘技の全貌を“遺言”として伝えていたという。
    そのため、「死は怖くなかった」と振り返った。

     この日は「動悸(どうき)があって、体調は良くない」と言いながらも、足取りはしっかりしていた。
    5月24日に退院してから自宅療養中で、2カ月間の運動禁止を言い渡されているが、
    「引退は考えていない。カテーテルがなじめば心配はなくなる。練習再開のメドは立ってないけど、
    今度タイガーマスクが出たらやせてる。すごいタイガーマスクが帰ってくるかも」と力強く再起を誓った。
    6月11日に東京・後楽園ホールで行われるリアルジャパン10周年記念大会も「体調次第」で来場するという。

     3月20日の曙戦以降、通常歩行の際も胸部の苦しさを訴えていた初代タイガーは、5月9日に都内の病院で検査。
    胸部圧迫による心臓疾患を理由に、同11日のドラディション後楽園ホール大会を欠場した。
    その後、18、19日に精密検査を行い、21日に再々検査。22日に4時間のカテーテル手術を行った。



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    415: お前名無しだろ 2015/06/05(金) 22:12:49.98 ID:UoGWtg9i0.net
    派手なカードはなかったけど前回までよりも個々に光が当たった良いシリーズだったと思う 
    オーエンズやフィンレーのこの先がもっと見たくなったし







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    1: THE FURYφ ★@\(^o^)/ 2015/06/05(金) 00:00:28.62 ID:???*.net
    新日本のIWGPヘビー級王者AJスタイルズ(36=米国)が、以前所属したTNAからの
    殿堂入りと、復帰戦のオファーを断ったと2日(日本時間3日)、複数の米メディアが報じた。

    スタイルズは「新日本、ROHでは大変ハッピーだ。特に新日本ではハッピーだ」とコメントした。
    TNAには02年から参戦し、王座を総なめにするなどトップ選手として活躍。13年12月の
    退団後は新日本、ROHを主戦場としている。(デーブ・レイブル通信員)

    http://www.nikkansports.com/battle/news/1487055.html




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    1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/06/02(火) 17:13:15.70 ID:???*.net
    三沢光晴がリング禍で亡くなったのは2009年6月13日。今年は、その七回忌にあたる。
    広島で行われたGHCタッグ王座戦、王者の齋藤彰俊&バイソン・スミス組に、潮崎豪と組んで挑んだ試合中のことであった。
    死因はバックドロップを受けた衝撃による頸髄離断。技を掛けた齋藤が特に危険な落とし方をしたわけではなく、
    また三沢も受け身を取り損なった様子はない。
    つまりは、マットに“正常に”落ちた際の衝撃による不測の事故であった。

    原因として第一に言われたのは、長年のレスラー生活におけるダメージの蓄積だ。
    晩年の三沢は慢性的な首、腰、ヒザ等の痛みに苦しみ、日常生活にも支障を来すほどであったという。
    「モノマネの神奈月がよく武藤敬司のヒザの悪さをネタにしていますが、三沢の場合、全身がそんな状態だったと思えばわかりやすいでしょうか」(プロレスライター)

    NOAHを旗揚げした後には社長業にも時間を割かれたためか、コンディションの悪さは傍目にも歴然で、これも事故原因の一つとなった。
    「何しろ一気に太りましたからね。きっとトレーニングの時間もまともに取れなかったのでしょう。
    社長室で通販のダイエット器具みたいなものを見たこともあります」(同・ライター)

    それでも三沢は休むことをしなかった。対戦カードに三沢の名前があるとないでは興行の客入りからして違ってくるため、団体運営のためにも出場せざるを得なかったのだ。
    やはり、全日本プロレス~NOAHのために命を削った末の“戦死”であった、と言える。
    三沢の死に接した関係者やファンからは、全日本時代からの過剰な試合ぶりに対する批判的な声も聞かれた。
    “相手をアタマから落とす危険な技の連発が肉体を蝕んだ”と。
    だが、それも三沢自身の選んだ道である。

    天龍源一郎が退団、ジャンボ鶴田も内臓疾患により一線から退く中、エースの座を担う三沢は“鶴龍”を超える闘いを見せる必要があった。
    当時のジャイアント馬場社長からは“マイクアピールやギミックに頼らない、流血や反則もない、ピンフォール決着を”との要望もあり、そうして行き着いたのが、いわゆる『四天王プロレス』だった。
    三沢、川田利明、田上明、小橋建太の4人をはじめとし、次世代の秋山準、外国勢では殺人バックドロップのスティーブ・ウィリアムスらも加わり繰り広げられた、
    世界中のプロレスシーンにも類を見ない激しい闘い模様--。試合序盤からハードヒットの打撃と急角度の投げ技を互いに出し合い、
    カウント2.9の応酬で、終盤にはエプロンサイドから場外床に向けてパワーボムなどを放つこともしばしば。
    グラウンドの攻防などレスリング要素を欠く内容から「ただのタフマンコンテスト」と批判的に見る向きもあったが、
    出し惜しみも不完全決着もない好勝負保証付きの試合ぶりはファンからの熱烈な支持を得て、ビッグマッチは常に満員御礼。
    馬場、鶴田の影を払しょくしたのみならず、三沢は日本プロレス界のエースとして認知されることにもなった。

    そんな四天王プロレスの最高峰といえば、馬場も解説席で涙を流した(副音声の実況アナとゲストの川合俊一氏が「馬場さんが泣いています」と叫んだ)1998年10月31日、日本武道館。
    三冠王者の小橋に三沢が挑戦した一戦が挙げられよう。
    三沢自身、川田らとの試合との比較の中で「小橋戦こそ極限の力を見せられる」と語っていた、まさにその言葉通りの究極マッチとなった。

    この試合でも序盤に頭から投げ落とすスープレックスを出し合い、中盤過ぎにはもう立っているのもやっとの状態に。
    そうなってなお、ギロチンドロップを放つ際の前動作にサマーソルトを加えるあたりが、常に華麗さを求めた三沢プロレスの真骨頂だ。
    フィニッシュは派手な投げ技ではなく左右エルボーの連打で、43分29秒、精根尽き果ててマットに崩れた小橋を三沢が押さえ込んだ。

    この一戦を含め三沢と小橋のシングル対決は、3度にわたりプロレス大賞(東京スポーツ新聞社制定)の年間最高試合賞を受賞している。
    後にも先にも比類なき、日本プロレス史に残る文化遺産なのである。

    http://npn.co.jp/article/detail/80287391/ 



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