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2chプロレスをまとめるか、まとめないか    答えはこうだ イヤァオ!!

    1: 名無しさん@恐縮です 2019/11/10(日) 10:25:17.17 ID:uW7MJAw79
    全日本プロレスの元トップレスラーで、現在はラーメン店を経営している川田利明さん。その奮闘ぶりを綴ったのが、
    著書『開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学』(ワニブックス)だ。
    資金繰りに苦しみ、所有していたベンツを3台、手放したという川田さん。危機をどう乗り越えたのか、本人が赤裸々に語った。

    私財を店の運転資金に

    赤字がどんどん積み重なり、資金繰りが苦しくなってくると、俺は私財を売り払って、それを店の運転資金に充当するようになった。

    正直、蓄えはそんなにはなかった。プロレスファンなら知っているだろうけど、全日本プロレスのファイトマネーはそんなに高くなかった。

    一方、ライバル団体の新日本プロレスは、スター選手になると結構な年収を手にする。さらにテレビ番組や映画などへの出演も多かったから、副収入も多かったようだ。
    Tシャツやタオルなんかのグッズのロイヤリティもちゃんとあったみたいだね。

    その時は「ウチはウチ、ヨソはヨソ」とあまり気にしていなかったけれど、新日本の人気選手の生活を見ていると、
    「やっぱり格差は大きいな」と実感させられたし、俺のセカンドキャリアもちょっとは違っていたかもしれない。

    「旨いものを出していれば客が来るとは限らない」という話は、そのままプロレスにも当てはまるだろう。

    俺たちはお客さんに満足してもらうために、全力で闘っていても、地方に行くと会場はガラガラということは少なくなかった。

    ただ、そこで「これしかお客さんがいないんだから……」と手を抜いた試合をしてしまったら、次にこの会場で試合をする時には、もっとお客さんが少なくなってしまうかもしれない。だから俺は若手の頃から常にベストを尽くして闘った。

    それが定着して、どこに行ってもお客さんがいっぱい入るようになったのは、日本を何周も巡業してから。超世代軍から四天王プロレスの時代は、どこに行ってもたくさんのお客さんが来てくれたよ。

    でも『全日本プロレス中継』の放送時間が深夜になってからは、ジワジワと地方からお客さんが減っていった。

    ただ、その時の俺は全日本プロレスの所属選手。馬場さんが社長だった時代は、どんなに観客動員が厳しくても、ファイトマネーの減額や遅延はまったくなかったので、
    そこまでシビアには考えなかったが、自分で店を持つと、お客さんが減る=即座に資金繰りが苦しくなってしまうので、悠長に構えてなんていられない。

    ラーメンで全財産を失った
    そうそう。ファイトマネーが安いといっても、同世代のサラリーマンと比べたら、おそらく、たくさんもらっていたほうになるとは思う。


    試合数も年間で150試合以上はあったのかな。当時は都内にいる時は、毎日、飲んで、そこから家までタクシーで帰ってくるような生活をしていた。
    それだけで一日に何万円も飛んでいってしまうのだが、それを普通にできるぐらいの収入はあった、ということかな。

    セカンドキャリアについてはまったく考えていなかったので、将来に備えての貯蓄もそんなにしていなかった。

    その分、車にだけはお金をかけた。

    乗っていたのは、基本的にベンツだ。

    よく「ベンツは安い車種から乗り始めて、稼ぎに合わせて、徐々にグレードを上げていくもの」と言われるけれど、俺の場合、いきなりSクラスを買った。

    その後もどんどん乗り換えていったのだが、俺と三沢さんはそもそも車検を取ったことがない。それぐらい短いスパンで車を買い替えていたわけだ。これがプロレスラーとして唯一の贅沢のようなものだった。

    店を始める時、俺はベンツを大中小含め3台、所有していた。

    しかし、今は一台もない。

    https://news.livedoor.com/article/detail/17348890/




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    1: 名無しさん@恐縮です 2019/11/09(土) 21:06:44.46 ID:RrWFKxrG9
    11月6日放送の『すじがねファンです!』(テレビ朝日系)で、ダンプ松本が不遇の生い立ちを語り、指原莉乃が涙を流した。

     ダンプは女子プロレスラーになった理由について、父親のDVや借金などがあり、「無茶苦茶だった」と明かす。「OLよりプロレスラーの方が給料がいいと雑誌に書いてあった。頑張ればお金がもらえるからプロレスラーを選んだ」と語った。

     ヒールとしてハサミ、フォーク、一斗缶など凶器を使って暴れまわったため、アンチから母にまで苦情が行き、実家に石を投げられたという。母は試合会場に行くと、裏側で「うちの娘がごめんなさい」と対戦相手の長与千種らに謝っていたという。

     ダンプは「その姿を見るとウルウル来た」と回想。ダンプは母に「今までで1番悪いヒールになるから、迷惑かけるけどごめんね。そのぶん、おいしいものを食べよう」と書いた手紙を渡していたという。

     実家には苦情が来る一方、近所の人から母にダンプのサインを求められることも。だが、ダンプは「『家に来たらダンプは優しい』とかはあっちゃいけないから」と、色紙を家の前でぶちまけていたという。そのため母は、近所の人ひとりひとりに一升瓶を持って、謝りに行っていたという。

     私生活でもヒールを貫いていたダンプのストイックな姿に、指原は「本当にかっこいい……」と涙していた。
     
     現在は母に心から感謝しているダンプ。2018年5月13日の母の日には「お母さんありがとう。長生きしてね」と感謝をつづっていた。壮絶な経験をくぐり抜けた親子だけに、強い絆で結ばれている。


    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191109-00010009-flash-ent
    https://i.imgur.com/QqZ1z3f.jpg

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