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    1: 名無しさん@恐縮です 2019/11/08(金) 20:53:15.27 ID:LmOrK58C9
     プロレス界の“黒のカリスマ”蝶野正洋(56)が8日、スペシャルサポーターを務める「第11回大阪モーターショー」(12月6~9日、インテックス大阪)PRのため、大阪市内を駆けずり回った。

     同ショーは1999年から隔年開催され、国内外の近未来の自動車が一堂に揃う。

     大阪市内で行われた開催記者発表会、テレビ大阪「やさしいニュース」への生出演、関連特番「大阪モーターショー開催直前SP」(29日午後5時25分)記者会見と、ショーをプッシュしまくった蝶野は「プロレスで大阪にやってきても、東京との違いを見せないといけない。先日行われた東京モーターショーも素晴らしかったが、大阪でもそれ以上のラインアップを揃えている。東に負けないという気持ちで、ラグビーの『ONE TEAM』じゃないが、みんなでスクラムを組んで盛り上げたい」と意気込んだ。

     ビュイック・センチュリー、フェアレディZなど高級外車から国産車まで20種類以上の愛車遍歴を持つ大の“車好き”。「排出ガスの規制をクリアして、燃費も良くなってるし値段も安い。東日本大震災のときにディーゼル車に乗ったんですけど、給油のときにも混まなかった。パワーが気に入って、今はディーゼル車に乗ってるんですよ」と現在の愛車はメルセデス・ベンツのディーゼル車だという。

     過去の愛車ラインアップにもメルセデス・ベンツが多いが、その理由について「日本車の良さもアメ車の良さも知ってる。ただ、かみさんがドイツ人なんで、半強制的に乗る車種は限られますけど」とマルティナ夫人の影響だと苦笑した。

     車を巡っては「あおり運転」が社会問題化しているが「俺も、このサングラスでしょ? ここに帽子かぶっちゃうと、俺があおり運転やってると思われちゃう」と、8月に常磐自動車道で起きたあおり運転殴打事件の宮崎文夫容疑者と自身の風貌を比較して笑いを誘った。

     ショーでは高校生以下を無料にしたり、レディースDAYを設定したりと、車に関心が薄い層にも来場しやすい環境をつくっている。「プロレスの世界は、カバン一つ持ってドライブして移動する。北米とヨーロッパで修行しているときは、1日で片道500~600キロ走っていた。大きな大会のときは、車の中で音楽を聴いて士気を高めたりできるプライベートな空間でもある。さまざまな場面で活用できる自動車に対する知識を、若い世代にも持ってもらいたい」と、自身の体験談を交え、来場を訴えた。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191108-00000050-tospoweb-ent

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    yuki (12)

    1: 名無しさん@恐縮です 2019/11/10(日) 09:12:20.17 ID:DdHqxdV19
    女子プロレスへの想いを熱く語った雪妃真矢。「女子プロレスには個性を持った選手がたくさんいますので、必ず“推し”は見つかると思います」 

    フェリス女学院大学の文学部英文学科(現・英語英米文学科)を卒業し、銀行員を経て、現在、プロレス団体「アイスリボン」でトップレスラーとして君臨するプロレスラーの雪妃真矢(ゆきひ・まや/年齢非公開)。マルチに活躍する雪妃に、各団体がバラエティに富んだ興行を行っている現代女子プロレスの魅力と、女優活動への想いを聞いた。「女子プロレス、最近、見てないなあ」という方に特にお勧め。

    ◆雪妃真矢は筋金入りのお嬢様?

    ――まず、プロレスラーになった経緯から教えてください。大学はフェリス女学院とか。

    雪妃真矢(以下、雪妃):英語が大好きで、とにかく英語を学びたくて、大学は英文学科に進もうと思いました。留学にも行きたくて、父親に告げたら、「絶対に女子大に入りなさい」と言われました。たぶん、いろいろと心配をしたのだと思います。だから、女子大を受検して、フェリスに入学しました。

    外国語は英語のほかに韓国語も話せます。韓国の映画や音楽にはまった時期があって、韓国語をしゃべれるようになりたいなと思ってテキストを1冊、買いました。自分で書いてみたり、テキストの付録CDを聞いているうちに、話せるようになりました。だいぶさび付いていますが、英語と韓国語は、旅行先で困らない程度には話せます。

    ――卒業後は銀行に就職。

    雪妃:はい。父親から「硬いところに就職しなさい」と言われたので、地元・千葉県の地銀に入社しました。

    ――それがどうしてプロレスラーに?

    雪妃:OL時代に友だちから、男子選手が出場するプロレスの大会に誘われました。最初は「やだよ、パンツ一丁で殴り合うやつでしょ」という感じだったのですが、それでも見に行くことになり、「こんなにも観客を巻き込んだライブエンターテイメントがあるんだ」と感動しました。

    「プロレスってこんなにも見ている人に感動とエネルギーを与えらえる競技なのだな」と思ううちに、「見ているだけじゃなく、やったほうが面白いんじゃないか」と感じ、アイスリボンが埼玉県蕨市で開催しているプロレスサークルに通い始めました。その教室はプロになることを前提にしたものではなく、一般の人がエクササイズとしてリング上でロープワークをしたり、マット運動をしたりするのですが、「超、楽しい!」と感激しました。

    ――銀行を辞めようと思ったのは?

    雪妃:プロレスサークルが楽しすぎて、「もっと通いたい、もっと練習したい」と思いました。ただ、場所が埼玉だったので、千葉県内にある銀行を定時にあがっても、間に合うか、間に合わないかくらい遠かったのです。「もっとたくさん練習をするにはどうすればよいのだろう?」と考えた結果、「銀行を辞めるしかない」と思いました。

    私は、父親から「女子大に入りなさい」と言われてフェリスに入学しました。「硬いところに就職しなさい」と言われて銀行に入りました。それまでそうやって生きてきたのですが、このとき人生で初めて、“やらなければならないこと”よりも、“やりたいこと”を優先しました。

    ――お父様のリアクションは?

    雪妃:父親には言い出せなくて、母親に「会社を辞めて、プロレスをやろうと思う」と告げました。母親は当初、完全に「???」だったようで、「意味が分からないわ」と言われました。それで私は、「望むような娘でいることができなくてごめんなさい」と泣いてしまいました。そうしたら、母親が「そんなふうに思うことはない。今まで父親の望むように生きてきたのだから、一度くらいやりたいことをやってみてもいんじゃないの」と言ってくれました。

    父親は母親と一緒にデビュー戦を見に来てくれました。今も、応援してくれているというわけではないと思いますが、私がメディアで取り上げられたりすると、「この間、テレビに出てたな。見たぞ」などと連絡が来ます。

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191110-00010000-friday-fight


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    1: 名無しさん@恐縮です 2019/11/10(日) 10:25:17.17 ID:uW7MJAw79
    全日本プロレスの元トップレスラーで、現在はラーメン店を経営している川田利明さん。その奮闘ぶりを綴ったのが、
    著書『開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学』(ワニブックス)だ。
    資金繰りに苦しみ、所有していたベンツを3台、手放したという川田さん。危機をどう乗り越えたのか、本人が赤裸々に語った。

    私財を店の運転資金に

    赤字がどんどん積み重なり、資金繰りが苦しくなってくると、俺は私財を売り払って、それを店の運転資金に充当するようになった。

    正直、蓄えはそんなにはなかった。プロレスファンなら知っているだろうけど、全日本プロレスのファイトマネーはそんなに高くなかった。

    一方、ライバル団体の新日本プロレスは、スター選手になると結構な年収を手にする。さらにテレビ番組や映画などへの出演も多かったから、副収入も多かったようだ。
    Tシャツやタオルなんかのグッズのロイヤリティもちゃんとあったみたいだね。

    その時は「ウチはウチ、ヨソはヨソ」とあまり気にしていなかったけれど、新日本の人気選手の生活を見ていると、
    「やっぱり格差は大きいな」と実感させられたし、俺のセカンドキャリアもちょっとは違っていたかもしれない。

    「旨いものを出していれば客が来るとは限らない」という話は、そのままプロレスにも当てはまるだろう。

    俺たちはお客さんに満足してもらうために、全力で闘っていても、地方に行くと会場はガラガラということは少なくなかった。

    ただ、そこで「これしかお客さんがいないんだから……」と手を抜いた試合をしてしまったら、次にこの会場で試合をする時には、もっとお客さんが少なくなってしまうかもしれない。だから俺は若手の頃から常にベストを尽くして闘った。

    それが定着して、どこに行ってもお客さんがいっぱい入るようになったのは、日本を何周も巡業してから。超世代軍から四天王プロレスの時代は、どこに行ってもたくさんのお客さんが来てくれたよ。

    でも『全日本プロレス中継』の放送時間が深夜になってからは、ジワジワと地方からお客さんが減っていった。

    ただ、その時の俺は全日本プロレスの所属選手。馬場さんが社長だった時代は、どんなに観客動員が厳しくても、ファイトマネーの減額や遅延はまったくなかったので、
    そこまでシビアには考えなかったが、自分で店を持つと、お客さんが減る=即座に資金繰りが苦しくなってしまうので、悠長に構えてなんていられない。

    ラーメンで全財産を失った
    そうそう。ファイトマネーが安いといっても、同世代のサラリーマンと比べたら、おそらく、たくさんもらっていたほうになるとは思う。


    試合数も年間で150試合以上はあったのかな。当時は都内にいる時は、毎日、飲んで、そこから家までタクシーで帰ってくるような生活をしていた。
    それだけで一日に何万円も飛んでいってしまうのだが、それを普通にできるぐらいの収入はあった、ということかな。

    セカンドキャリアについてはまったく考えていなかったので、将来に備えての貯蓄もそんなにしていなかった。

    その分、車にだけはお金をかけた。

    乗っていたのは、基本的にベンツだ。

    よく「ベンツは安い車種から乗り始めて、稼ぎに合わせて、徐々にグレードを上げていくもの」と言われるけれど、俺の場合、いきなりSクラスを買った。

    その後もどんどん乗り換えていったのだが、俺と三沢さんはそもそも車検を取ったことがない。それぐらい短いスパンで車を買い替えていたわけだ。これがプロレスラーとして唯一の贅沢のようなものだった。

    店を始める時、俺はベンツを大中小含め3台、所有していた。

    しかし、今は一台もない。

    https://news.livedoor.com/article/detail/17348890/




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